小さい頃は原っぱで見つけた謎のでかい木の棒を見つけるだけで感動していたのに、大人になるとそういうことが減っている気がする。
というか元々保守派な自分は自分の好きなことを永遠に繰り返すのが幸福だと思っていて、それは確かにそうなんだけど、繰り返せば繰り返すほど最初の頃に感じた感動は薄れていくよなぁと最近感じる。
多分じじいになってきたんだと思う。
初めて食べたあの味は今では普通で、でもその普通を感じた時にホッとして幸福を感じて。でもその目先の幸福にばっか目を向けてたら人生を円グラフにした時の「感動」枠が狭くなってしまう気がする。
急に哲学を語り出してどうした?って思われるかもしれないけど、俺は今「苦手なパクチーを克服したい!」という目標があるのです。
好きなTV番組”あちこちオードリー”でずんの飯尾さんが「50歳にして苦手だったものが食べれるようになって嬉しい」という話をしていた。
多分その瞬間は”感動”だったに違いないと小山は思う。
素晴らしい景色を見たり、熱い試合を見たり、泣ける映画を見たり。そういう感動もあるけれど、普遍的で誰かにとっちゃどうでもいいものも自分にとっては感動になり得るのだと、ただのバラエティの数分の会話を聞いて思った。
だからパクチーを克服して「うわ!パクチーって美味いじゃん!」と感動してみたいのです。そう思って食べてみたけどまだちょっと難しいそうです。
三年食太郎→ https://www.youtube.com/@3.syokutaro
仕事依頼などの連絡先はこちら↓
koyamasrooom@gmail.com
⇩SNS⇩
もえちゃん/三年食太郎
◯Twitter https://twitter.com/3_syouktaro
◯インスタID 3.syokutaro
◯TikTok https://www.tiktok.com/@3_syokutaro?is_from_webapp=1&sender_device=pc
小山
◯Twitter https://twitter.com/komakomakamn
◯Instagram ID koyamasroom
◯TikTok https://www.tiktok.com/@komakomakamn?…
Instagram ID